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攻めは飛車角銀桂守りは金銀三枚

ITとアコースティックギター、そして日常のひとこま。

自分の「死」の瞬間を考えてみる

よもや話
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今朝、以下のエントリーを読んだ。

world-news.beauty-box.tokyo

このエントリーで書かれている

だがしかし、「死」とは一体何なのだろうか?
この世の終わり?
はたまた新しい「何か」の始まりなのだろうか?
分からない。。。

という部分が妙に心に引っかかった。

自分にとっての「死」は「恐怖」以外の何物でもないのだが、その瞬間ってのはどんな感じなんだろうか?

自分の「死」の瞬間を考えてみる

まだ先のことであって欲しいがこればかりは避けようがないのは事実。

若いころに「ノストラダム」によると「1999年の7の月に恐怖の大王」がやってきて、太陽系では「グランドクロス」が起こってそこで迎えるはずだった「死」。

それからもう28年以上も生きてます。

そう言った意味では「一度捨てた命、これからは人類の為に云々かんぬん」と言うべきなんでしょうが、そこまで人間ができていないため、今もなお私利私欲のためにがんばって生きてます。


で、自分の「死」の瞬間を考えるですが、どうなんでしょう、その時に意識はあるのかな?

まぁ、あったとしたら多分自分はこんな感じじゃないだろうか。

「あ、やべ、これが『死ぬ』ってヤツ?マジか、マジか・・・まだ早いって、やりたいことまだいっぱいあるねん。マジか・・・勘弁せいよ。やべ・・・こ、怖わ。マジ勘弁・・・」って感じで消えて行くんでしょうかね。

あぁ、あと「走馬灯」なんかも見るんでしょうか。

まとめ

引用もとの記事はとっても真面目に書かれているので言及すべきか迷いましたが、させて頂きました。

この記事も真面目には書いたのですが、人となりが出てしまうのでしょうか、こんな感じになってしまいました。

いつかは必ずやってくる「死」。みなさんもちょっと想像してみると人生がちょっと変わるかも知れません(適当)。